昨日から虫かごのふたでじ~っとしていた青虫くん、とうとうさなぎになりました
おとといぐらいから何も食べなくなり、心配して新鮮な葉っぱを口元に持っていっても嫌がって逃げ出したりしていたのは、もうさなぎになる準備ができていたからなのね。知らずに無理強いしてゴメン
ゆうべまでは幼虫の姿でいたのが今朝には同じ所でさなぎの姿に。 あぁ、生き物って不思議。
今日は朝から地域の人権集会の講演会へ。
PTAから動員がかかって、半分義務で行ったのだけど、
行って良かった。
・・・ある男の子が4歳の頃、お母さんに「僕はいくつになったら歩けるの?」と聴いた。彼には麻痺があり、歩ける見込みはない。しばらくは、訓練していれば歩けるようになるよ、と答えていたのだけれど、また、「僕は本当に歩けるの?」と聞かれた。
この場合、本当は歩けるようにはならないの、と言うのか、大丈夫、いつかきっと歩けるよ、と言うのか、どちらが良いのか?
・・・ある女の子は「私は将来歌手になりたいの」と言った。彼女は四肢も言葉も不自由である。 歌手は無理よ、と言うのか、では頑張って歌の練習をしなさい、と言うのか?
そのうち彼らは「歩きたい」とか「歌手になりたい」 と言わなくなる。自分の願いと現実のギャップを知るのだけれども、諦めたのではない。歩きたい、歌手になりたい心は持っている。
だからこの先生は「歩けるよういなればいいね」「歌手になれたらいいね」 とおっしゃる。
実現できるかどうかではなく、希望をもつことが、生きていくためには必要で、すぐに実現できるものでも、成しえないものでもかまわない。
その希望や夢を語ったとき、そのことが価値判断されず、あるがまま認められる、それによって人間どうしが心を通わせることにつながるのだと。
今までも、そういう感じのこと、頭ではわかっていた。
でも実際に人のことばから聞くとからだにしみ込む感じ。
いままで、こどもたちのこと、すぐにいいとか悪いとか、こうした方がいいとか、価値判断してきてしまったなぁ。自分の価値観や正義感で、こどもたちを指導したり、教えなきゃ、って使命感もってしゃべりすぎてたなぁ。
ごめんね。
その点、パパは話を聴くのがうまいんだなぁ。
でもハハも最近ちょっと変われてるかもよ。
・・・・気のせい
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